仙台クラシックフェスティバル せんくら2006
せんくらの楽しみ方

■ モーツァルトピアノソナタ全曲シリーズ

(1)2006年09月01日

こんにちは!再び、ピアノの下山静香です。東京でも空気が急に爽やかになり、ミンミンゼミの合唱も日に日に遠くなっていくようです。皆さまお元気で夏をお過ごしでしたか?

さて、今日から9日間、「せんくら」の目玉のひとつであるモーツァルト<ピアノソナタ全曲シリーズ>1公演につき1日、ブログが進んでいきますので、どうぞよろしくお願いいたします!第1回は、「せんくら」初日の7日に、仙台市青年文化センターのパフォーマンス広場で<ソナタ1番(K.279)2番(K.280)3番(K.281)>を演奏する私・下山静香が担当します(14:30〜15:15)*

モーツァルトのソナタ1番、2番?・・・どんな曲だったかしら?そうおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。でも、心配はご無用!(っていうのもおかしいかな)なにを隠そう、この「せんくら」出演が決まる前の私もそれに近いものがあったのです。白状しますと、5番(K.283)から11番(K.311・トルコ行進曲つき)や、誰でも知っている第15番(K.545)は、かつて勉強したりコンサートで演奏したりしたことがあって親しんでいたけれど・・・それより前の作品、特に1番と2番は聴いたこともあまりなかったくらい、馴染みがなかったのですね。思えば私、幼少時はひたすらバッハをたたきこみ、小学校高学年からはベートーヴェンの勉強に忙しく、天才・モーツァルトは少々わきに追いやられるという憂き目を見ていたことを認めざるを得ません・・・しかし!この「せんくら」での出会いに感謝です。何曲もまとめて演奏することでモーツァルトのいろいろな面に触れることができ、あらためて、新鮮な気持ちでのお付き合いが始まったように思います。皆さまにもぜひこの機会に、モーツァルトの初期ソナタたちの素敵さも知っていただきたい!と思っています。

第1番(K.279)は、やはり若い、フレッシュな印象です。まだ無邪気な感じというのでしょうか。特に気に入っているのが第2楽章。中間部に入ったところの美しさといったら!ちょうど今頃の季節、夜のとばりがおりて辺りが静まったころ・・・少し涼しくなった風のあいまに、聞こえてくる虫の声。そんな、夏の終わりの切なさを感じるのです。3楽章はちょっとお茶目なところがあって、そんななかでも現れる微妙な色合いの変化に驚かされます。

第2番(K.280)も、これまた第2楽章が素晴らしい。同じモーツァルトでいうなら、ピアノ協奏曲第23番の第2楽章に匹敵するくらいではないかと思います。イメージを固定してしまうのは好きではないのですが、もっと言ってしまえば、私はシューベルトの世界に近いものを感じています。人生の旅路は結局、孤独であるというような・・・そして、それを定めとして受け入れている穏やかな足どり。侘び、寂びに代表される日本文化の世界観にも通じる、ある種の儚さも感じとったりします。

3番(K.281)になると、一気に充実した趣で、モーツァルトらしくドラマティックです。1楽章から、弾いても聴いても心地よい音楽だし、鍵盤上を自由自在に軽やかに動き回る感じ。2楽章は、私はチェンバロ的というよりも室内楽のように感じています。ここは弦楽器、ここはフルート、という風にいろいろな楽器が想像できるので、皆さまにも自由にイメージしていただけたらいいな、と思っています。3楽章のロンドも素敵!

これらすべてが、10代のモーツァルトから生まれ出たものなんです!・・稀有な天才の才能が、すごいスピードで時を駆け抜けていっているみたいです。でも、その天才はとっても人間的。映画<アマデウス>のモーツァルトも、ある意味人間的ではありましたが・・・それだけではない“あなたのモーツァルト”に出会いに、いらしてみませんか?

下山静香

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(2)2006年09月02日

「せんくら」2006は耳になじみのあるクラシック小品を中心としたフェスティヴァルです。ちらしにも「どこかで聴いたクラシックばっかりのコンサートが101回」と明記されています。

そのなかでモーツァルトピアノソナタ全曲シリーズというのはちょっと異色で、ちらしのコピーと厳密に照らし合わせると苦しい感があるのは否めません。「あなたモーツァルトのピアノソナタ第3番のメロディーって聴いたことあるの?」と問い詰められても困ってしまいます。

今年はモーツァルトの生誕250周年ということで、これはクラシック界としてはそれなりに大きな出来事です。マスメディアでも多少は露出の頻度が増えています。モーツァルトの価値が記念イヤーだけ特別に上がったり下がったりするわけもありませんが、せっかく世の中全体で宣伝してくれるなら、テーマにしないまでも、ある程度は乗らせていただかないと損、と考えました。

まずは「せんくら」としては趣旨にのっとって、モーツァルトのなかでは「どこかで聴いたことのあるメロディー」のベスト1か2には入るであろう「トルコ行進曲」はこれでもか、と並んでいます。ベスト2のもう片方と思われる「アイネクライネ」も仙フィルに演奏していただきます。

次に逆に、こういう年ででもなければ生涯聴けない企画も何か無いか?と考えました。例えばあるジャンル全曲というような。となるとオペラは超名作ぞろいですがお金も手間もかかり過ぎる、オーケストラを使う作品も多すぎて仙フィルさんは死んでしまう、弦楽四重奏曲全曲となると渋すぎる・・・・云々となり、結局

1. 一番安上がり
2. トルコマーチ以外にも初心者のピアノレッスンに使われている曲もあり意外と知っている曲もある
3. 9コマで全曲網羅できるので9000円ですべて味わえる

ということで、ピアノソナタ全曲シリーズが当選しました。ちなみに東京でのラ・フォル・ジュルネ音楽祭でもテーマがベートーヴェンであろうがモーツァルトであろうがピアノソナタ全曲シリーズはお客様の人気は極めて高かったようです。

と、いうことで皆さん、こんな大天才のあるジャンルの作品全部が9000円で聞ける多分生涯一度だけのチャンスです。これまでクラシックになじみのなかった方々も、あきらめてドップリこれに付き合ってみたらいかがでしょう。絵を初めて見に行くのに「ゴッホすべて」に行く、という手もありますでしょ?

平井洋 せんくら2006プロデューサー

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(3)2006年09月03日

モーツァルトの初期のピアノソナタ第1番から第6番は1774−75年つまり作曲者の18−19歳に書かれているようです。

私はふだんヴァイオリンの五嶋龍さんのマネジメントもしていますが、彼が現在18歳。実感として、彼の知的、音楽的能力があれば、ある構造に則ってソナタを書くくらいは、その気になれば大して難しいことでは無いと思われます。

だから、とでもいいましょうかモーツァルトの18歳ともなれば自意識もあり、経験も積んでおり、1曲1曲が十分異なった個性を持つ作品に仕上がっているのも当たり前と言えば当たり前で何の不思議も無いでしょう。ましてや第7番以降はそれ以降に書かれているわけで、益々面白くなっています。

モーツァルト好きな皆さんはプロ・アマ問わず、「モーツァルトで一番面白いのはオペラとピアノ協奏曲」と仰る方がたくさんいらっしゃいます。そのなかで清水和音さんはこのせんくらブログの8月17日に<<ピアノ・ソナタはピアノ協奏曲のように後期の作品に出来が良い作品が多いということはなく、良い作品が各年代に点在しているということも興味深い事実です。>>と述べておられます。

モーツァルトのピアノと言えば、20番以降のピアノ協奏曲につい目が行ってしまう私などにもこのご指摘は新鮮でした。で、その各年代に点在している良い作品というのはどのソナタなのか、そのあたりを最近始めたせんくらポッドキャスティング
http://www.mmjp.or.jp/sencla-pc/
でうかがってみようと思います。今月中にアップしますから、どうぞお楽しみに。

平井洋 せんくら2006プロデューサー

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(4)2006年09月04日

モーツァルト生誕250年・・・今年はこの文字を本当によく目にします。TVや新聞ではモーツァルト特集をどこかしらでやっているし。興味がなかった方も、モーツァルト通になられた方がいらっしゃるのではないでしょうか・・・。

そんな中、私も「せんくら」でモーツァルトのピアノソナタを弾かせていただくのですが、先日、平井さんからのお電話で「せんくらブログに今度は、あなたが弾くピアノソナタの魅力について書いてください」とのこと・・・。(7日間のブログが終わってホッとしていたのに・・・笑)

今日は、2曲ずつ演奏します1回目のプログラム。7月のブログで、少しだけ触れていますが、K.310のソナタは、初めて聴かれる方の中には「えっ?!これってモーツァルト?!」って思われる方がいらっしゃるかもしれません。

実際に、「このソナタを書いていた時、モーツァルトに何があったの?」と尋ねられたことがあります。この時、彼は最愛の母親を亡くしたのです。父や友人に宛てた手紙にも、その時の深い悲しみが痛いほど伝わってくるものが残されています。

最愛のお父さん最も悲しく最も痛ましいお知らせのひとつを、しっかりとお聞きくださる心構えはおできになっているものと思います。
・・・・中略・・・・
ぼくはずいぶん苦しみ、泣きました。・・・・愛するお父さん、お姉さん、あなたがたもそうなさい。お泣きなさい、心ゆくまでお泣きなさい。でも最後にはお諦めなさい。・・・・全能の神がそう望まれたことをお考えください。
(1778年7月9日、パリにて)

私がこのソナタと出会ったのは、高校生の時のときでした。その時から、今日、そして、これから・・・と、私の大切に持っていたい曲の1つです。こうやって曲の背景を知ると、当日のドレスの色は、シックなものにしようかな・・・なんて考えられるのは、女性ならではの楽しみでもあります。。。ドラマティックなこの作品をどうぞお聴きになってみてくださいね。

明日は、せんくらでみなさんお弾きになるトルコ行進曲つきソナタ・・・です。

あたらし ゆう

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(5)2006年09月05日

今日は、2曲ずつ演奏します2回目のプログラム。
・・・・の中に、あの!トルコ行進曲つきソナタがあります。これは、喜ぶべきことなのでしょうか??

せんくらでは、超有名なピアニストの方がたくさんお弾きになるので・・・(泣)その方々に、是非お任せしたいのですが・・・。(これも平井さんの陰謀??・・・笑!!)

さて、その有名なソナタですが、先日、このソナタがまだパリで作曲されていたと考えられていた頃の解説をみつけました。そこには、この曲のテーマは、ドイツ南部の民謡 「Rechte Lebensart」に端を発したものだとされているが、音楽そのもののもつ性格からみると、多分にフランス的で、優雅で極めて伸びのきくリズムにのった旋律は、まことに美しい・・・・・と・・・・・。

これは、今では、間違った解釈かもしれませんが、そうやって、テーマのメロディーを聴くと、モーツァルトが、パリのある客間で、これを演奏する姿を想像してしまいました。

小品のように、トルコ行進曲だけ弾かれるケースも少なくありませんが、1楽章の変奏曲から、メヌエット、そしてトルコ行進曲と続けて聴くと、また新鮮です。

私の小学生の生徒と、話をしていた時の事。
「先生、せんくらで何を弾くの?」と聞かれ、説明すると、「私も、せんせいが弾くソナタ、ほとんど弾けるね!」・・・ってうれしそうに言われたかと思えば、ベテランのピアニストの方には「モーツァルトのソナタばっかり??!」・・・と目をまるくされたり・・・。

つまりは、このギャップが、モーツァルトを弾くことの大変さなのかな・・・と思う今日この頃であります。。。それにしても、弾けば弾くほど、メロディーの美しさにはまって、モーツァルトの頭の中のかぞえきれないメロディーの引き出しは一体いくつあったのだろう?と、あらためて思う毎日・・・でもあります。

このコンサートに出させて頂くことに感謝しつつ・・・
せんくらでお目にかかれますのを楽しみにしております。。。

あたらし ゆう

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(6)2006年09月06日

今日から4日間のせんくらブログは、再び下山静香がお送りいたします!

さてシリーズ第6回目は、ソナタ第12番(K.332)と第13番(K.333)です。この2曲、実は他のソナタよりちょっぴり思い入れがあります。なぜかといいますと、ある方に、「この2曲はまるで“下山静香”をあらわしてるようだね」と言われたからなんです。

「どんなところが?」とはあえて訊かないのが粋ってものだと思うのですが・・・ともかくそう言われると気になるもので、それ以来、この2曲はとても自分に近く感じています。

12番の1楽章は、すべり出しが気持ちいい。自然にさわやかに流れ出した音楽が、すぐにチャーミングになったり、激しくなったり。でも、そんな風にどんどん変化していくのが楽しいんです。2楽章は、とても穏やかで平和。弾いていても気持ちが落ち着き、自分の音をよく聴きその響きと対話しながら、遊ぶことができます。そして突然、コロコロと軽やかに始まる3楽章。モーツァルトのピアノソナタの中では、最もスピード感あふれる楽章のひとつではないでしょうか。たとえば第9番・3楽章の短調も疾走感がありますけれど、こちらは短調で不安が漂っていますよね。対して12番の3楽章は長調ですし、第9番3楽章とは“速さ”の内容、性格が違います。

この楽章で思い出したのが、3歳から私がピアノを教わった恩師・坊啓子先生のブログでのお言葉。最近、嬉しいことに、私について時々書いてくださっているんですが、、私をイメージして「ローラースケートを履いたオリーブ」ですって!オリーブも結構、お転婆では?と思うのですが、そのうえローラースケートを履いちゃってる。そのイメージが、この曲とふと一瞬重なってしまったんです。そう思うと、このソナタは私の“若いバージョン”かな?

そして第13番は、もうちょっと大人になった私というところでしょうか。音楽から受ける印象って、その曲の持つ調も大きく関係しますよね。この13番はB dur(変ロ長調)、12番はF dur(ヘ長調)で、そういう意味でもこちら(13番)は、より大人っぽいのではないかと思います。

2楽章はEs dur(変ホ長調)という調ですが、やはり管楽器の響きの暖かさを思いおこしますね。3楽章はかわいいところもあるのですが、なぜか私は、その明るさのなかにモーツァルトの“つきぬけてしまっている”部分を感じるんです。違う境地で遊んでいるというか・・・。そして時折、地上に降りてくる。この楽章にはカデンツァがあって、ピアニストとしても弾き甲斐のあるソナタとなっています。

この曲も有名で、聴き慣れていたはずなのですが、こうして今向き合ってみると、子供のころに持っていた印象とはかなり違っていることに気がつきました。音楽って、やはりいつ弾いても、そのときそのときで新しい発見がある。音楽を聴くことでも同じで、歳も経験も重ねてみると、昔聴いていた音楽がまた違った印象でせまってきたりすることがありますよね。
・・・モーツァルトは、そんなことにも気づかせてくれたのでした。

下山静香

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(7)2006年09月07日

シリーズ7回目は、対照的な2曲。調も、同じド(C)の音を基音とした短調[幻想曲&ソナタ14番]と長調[15番]のカップリングとなりました。

幻想曲・ハ短調(K.475)は、モーツァルトのピアノ曲の中でも独創的なもの。即興のようにどんどん転調して、場面が変わっていきます。彼の時代からすれば表現能力がかなり広がっている現代のピアノのために作曲されたかと思うくらい、劇的でもあります。私がこの曲でイメージするのは、たとえば穏やかな波の上で揺られたり、嵐が来たり、田園を散歩したり・・・といった心象風景。弾き込んでいくと、まるで人生のようだとじわじわと感じてきます。

そしてこのあたりからのモーツァルトのピアノ作品は、ベートーヴェンを予感させるようにも思います。考えてみると、この曲が作曲された1985年には、ベートーヴェンはもうほとんど15歳。(そういえば、手塚治虫さんの漫画「ルードヴィヒ・B」読まれたことありますか?少年ベートーヴェンが、初めて聴いたモーツァルトの音楽に感動した場面や、ウィーンでの2人の交流が手塚先生流に描かれています)時は様々に織られながらつながっていき、やがてベートーヴェンも、ピアノ作品の金字塔となるソナタの数々を生み出していくんですね。

この幻想曲がハ短調音階の上昇型で決然と終わると、同じハ短調のソナタ14番(K.457)に入ります。2曲はつながっているわけではないのですが、当初組にして出版され、雰囲気も近いので、このように続けて弾かれることも多いのです。14番の1楽章も決然と始まり、がっちりしている印象ですが決して“重く”はならない、あの“モーツァルトの疾走感”は、どこかに常に存在しているように思います。2楽章には美しいスケール(音階)が何回も現れ、ずっと昔モーツァルトの曲を勉強していた時に先生がおっしゃった、「ここの音階は、粒のそろった綺麗な真珠がパラパラと転がり落ちていくようにね・・」という言葉を思い出します。3楽章では、交差した両手がとっても遠くなる部分があり、もう少し音域を狭くした弾き方もあるのですが、私は身体を傾けながらもその遠くなるほうで演奏します。

さて、一転して第15番(K.545)。ピアノを習う方なら、きっと誰でも一度は子供の頃に弾く曲でしょう。だからといってあなどるなかれ!トリル、音階、様々な伴奏型、同じ音を指を変えて弾いていく・・など、コンパクトな長さに基本的なテクニックがちりばめられ、確かに勉強にはもってこいなのですが、決して“指の練習曲”ではないのです。と言っている私も、小さい時に勉強して以来ウン十年弾いたことがなかったわけですが、今あらためて、ハ長調ってこんなに美しいものなのね、と感動しているんです。そう、まさに「真珠」が紡がれていくよう。この曲で、新しい何かを感じていただけたら嬉しいな、と思っています。

(写真は、モーツァルト演奏中の私♪)

下山静香

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(8)2006年09月08日

さてシリーズ第8回は、アダージョ・ロ短調(K.540)、ロンド・イ短調(K.511)という、ソナタではない2曲から始まります。

「モーツァルトの短調」は、よく話題にされますよね。モーツァルトは“明るくて軽やかな音楽”というイメージが強いだけに、短調の曲に出会ったとき、心に響く哀しみに聴く人はノックアウトされてしまうのでしょう。映画<アマデウス>でも、観た人の耳に一番強烈に印象に残っているのは、自殺を図ったサリエリを乗せた馬車が走っていくあの場面で流れる、交響曲25番・ト短調(K.183)の緊迫感あふれる音楽ではないでしょうか。これがモーツァルト17歳の作品とは!考えただけで鳥肌がたち、いくら天才とはいえ、「年齢で物事を計るのは間違いなのか?」と思いたくなってしまうほど。

ここでとりあげている「アダージョ」と「ロンド」は、作品番号もともに500番台、モーツァルトも30歳を過ぎて晩年にさしかかり(早すぎる!)、より内省的で、音の響きの余韻に哀しみが内包されているような音楽になっています。そういうところが日本人の感性に合うからか、この2曲、特に「ロンド」を愛する方がたくさんいらっしゃることを知りました。私もこれから、お気に入りレパートリーの1曲になりそうです。

続いて演奏するソナタは、第16番(K.570)。これ、私は勝手に「一人ピアノ協奏曲」って呼んでいるんです。?どういうことって?・・・ピアノ協奏曲のピアノソロとオーケストラ部分を一人で弾いてるような感じがするのですね。2楽章もそう。学生のころ指揮伴(指揮者の棒のもとピアノ2台でオーケストラ部分を演奏することを「指揮伴」といいます)をよくやっていたのですが、オーケストラのいろいろな楽器の音色をピアノで出す、というのがとても楽しくて、それはソロ曲の演奏にも影響しているかな?と思います。この3楽章も好き、弾いているとウキウキしてきます。モーツァルトってこんなにおもしろいのに、なんで昔はウキウキできなかったのかなぁ〜。なんて思いながら、今は大いに楽しんでいる私です。

下山静香

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(9)2006年09月09日

いよいよシリーズも最後。トリをつとめるのは、第17番(K.576)と第18番(K.533&494)です。

17番は、モーツァルトのソナタの中では一番“弾きにくい”かもしれません。たとえば1楽章、速いうえに、ときどき両手がフーガのようだったりして、複雑になっているんです。3楽章も、混んだ音符で譜面が黒い感じだし、左手も大活躍!(私の場合、実は右手より左手のほうが器用なので、左手が動くと逆に楽なのですけどね)

そんななかでほっとするのが、やはり2楽章。2楽章って、テンポが遅くテクニック的には易しいことが多いので、学校の試験などでは軽視される、というより無視されてしまうことが多いんですね。でも、緩徐楽章には「ピアノで歌う」ことができる素晴らしいチャンスがあります。だから私は、2楽章って大事だと思うし、大好きです。2楽章なくしては、ソナタは成立しませんものね。

18番は、アレグロとアンダンテ(K.533)とロンド(K.494)を合わせたもの。両手の役割がより同等になっていて1楽章の規模も大きく、ちょっと聴くとモーツァルトらしくないような感じがするかもしれません。この時代の人はもしかすると、ちょっと難解に感じたのかな?1拍3連音符でタカタタカタ・・・と進んでいくところが多いのですが、たとえばテーマ部分は基本的に2連。この対比がおもしろいです。

2楽章では、右手のパッセージが高いところから始まって下降することが多いのですが、これは私のお気に入りの音型。天から降ってくるような感じが好きなのです。そして、ふと反対の方向に、ちょっと上昇するような部分が出てくると、ある種の色っぽさを感じてしまいます。

そして3楽章のロンドは、いろいろな要素がミックスされているという印象。ところでこの楽章、かなり低い音域でひとしきり演奏されて終わるのですが、なぜここまで低いところにいきたかったの?とモーツァルトに訊いてみたい気がします。・・・愚問かしら。

<モーツァルト・ピアノソナタ全曲シリーズ>全9回は、ここで幕を閉じます。知らない曲だけど、ちょっと聴いてみたいなぁ、と思われたら・・・ぜひお足をお運びください♪
お待ちしています!

下山静香

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(C)仙台クラシックフェスティバル2006実行委員会